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《ビジネス×サイエンス》
#02 位置と集団を見抜く

<導入>
   ■ 1. 「位置と集団」のビジネスとサイエンス
<ビジネス編>
   ■ 2. 顧客の地図を描く ~ 顧客クラスタの事例と解答
   ■ 3. 戦略を練るための「地図」思考 ~ 様々な事例と通底する理念 (このページ)
<サイエンス編>
   ■ 4. クラスタ生成の統計アルゴリズム ~ 階層的手法、k-means法
   ■ 5. クラスタを支える数理的概念 ~ 距離の定義、クラスタ数、FAQ
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■ 3. 戦略を練るための「地図」思考 ~ 様々な事例と通底する理念

本質の「仕組み」に目を凝らして考えていれば、一つの手法に過度にこだわる必要は全くありません。逆に、外形的な「かたち」を単に聞きかじって覚えただけの人ほど、「これが定番の手法なんです」と言いがちなのかもしれません。

戦略を練るために作った「地図」の例を挙げながら、通底する思考について考えてみましょう。
(いずれも秘匿のため事実から一部改変してあります)

 

■ 3.1 「戦略の地図」の様々な事例

≪ケース1: ネットサービスB社≫

(背景)

インターネットサービスを手掛けるB社のマーケティング部門では、マスメディアを使った広告宣伝だけでなく、メール、SNS、リアルなど様々なタッチポイントを使って顧客との関係を保つことにも注力してきました。

長年の悩みは、メルマガ発行の効果が徐々に下がってきていることでした。数百万人のメルマガ購読者のうち、開封率は10%を越えればいいところ、クリック率となると1%程度にとどまってしまいます。運営側としては、重複した内容を別の部署が送ってしまったり、新サービスのリリースが続いた時は一日に何通も送ってしまったことなど、購読者を不快にさせてしまったことが響いているのではないかと考えていました。将来的には、Amazonなどの先進的企業がしているように、パーソナライズしたメールの送信をしたいとは考えていますが、一足飛びにそこまで実現することもできません。

 

(解答編)

このような相談を受け、今後の運営方針を定めるため、限られた予算ながら調査会社を利用して数百人規模のウェブアンケート調査を設計しました。メール購読の習慣を変数としてクラスタリングの手法を適用したところ、メール購読者は以下のような集団に分かれました。


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メール購読の習慣によって切り分けたクラスタごとに、メール受信の頻度の受忍ラインは明瞭に違いが見られました。この結果を利用して、メール購読者が多頻度版とサマリー版の選択を出来るようにした結果、それぞれのグループでの開封率、クリック率の改善、さらに購読解除の割合の引き下げにもつながりました。数百万人の読者のメール開封率が数%改善した結果は、数万人へのアクセスを新たに得たに等しく、検討に掛けたコストを十分に正当化する結果となりました。

予算と時間も限られた中でのシンプルな事例ですが、メール内容の出し分けにクラスタリングを用いる企業は多数ある中、頻度の最適化に着眼点を置いた珍しい成功例です。

また、当初懸念されていた「運営側のミスで不快になっている」という仮説は、もっとひどい状況の会社も多い中ではB社についてはほとんど気にされておらず、杞憂だったことが分かりました。

 

≪ケース2: ファッションブランドC社≫

(背景)

女性向け服飾ブランドを手掛けるC社は、ブランドの熱心なファン層の存在を活かすため、会員制度を作り、登録会員には季節ごとにカタログを送付するなどリピーター維持に取り組んできました。

熱心なファン層の年齢層が徐々に上がっていく中、新たに獲得した若い世代の購入者にファンになってもらうことが中長期的に最大の経営課題となってきました。会員制度を作って数年、購入者のうち登録会員の割合も頭打ちになっており、新しい購入者に会員登録してもらうことも課題です。

 

(解答編)

相談を受け、購入者(会員、非会員とも)にブランドグッズ進呈を謝礼にアンケート調査を行いました。「なぜC社のブランドを選んだか」を軸にクラスタリングを行い、さらに回答者をC社ブランドの購入頻度ごとに3層に分けました。


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当初考えていた分類に来店歴に軸を追加すると、初めて来店する顧客は「C)デザイン重視」、「D)評判重視」の傾向が強く、長年愛用している顧客は「A)歴史伝統重視」、「B)品質重視」の傾向が強いことが読み取れました。

この結果から、

  1. 新規購入者にはまず入り口としてデザインと評判を訴求
  2. 初回の購入体験を経た人に、ブランドの歴史、作りの良さをパンフレットなどで訴求
  3. 3,4回の購入体験を経た人に、会員登録のメリットを説明

という黄金パターンでファンを育てる方針が定まりました。

「ファンを育てる」ステップの認識が共有された結果、店頭のスタッフにとってもするべきことが明確になり、若い新規顧客が徐々にファンになってくれるという体感とも相まって、モチベーションの向上にもつながりました。

 

≪ケース3: 旅行会社D社≫

(背景)

パッケージ旅行を手掛けるD社では、ツアーの企画力に加えて、強力な営業スタッフを誇り、売上を拡大してきました。

一方で、売上拡大を優先するあまり、割引キャンペーンが常態化し、利益率の低下が悩みとして浮上してきました。リピート客は増やせたものの、実際には利益に貢献しない「赤字客」にばかり注力してきたのではないかと考えられ始めました。

 

(解答編)

相談を受けて、顧客データベースと販売データベースを匿名化して受け取りました。データ分析のまとめは以下の一枚。


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「割引客」が確かにヘビー客にも集まっている一方、割引をほとんど利用しないヘビー客もまとまった人数存在し、売上の4割、利益の7割に貢献していることが分かりました。割引キャンペーンは実質的に「割引客」の引き留めにしか機能していないとさえ解釈できました。「A1)割引ヘビー客」が広告塔として機能している可能性は否定できないため、割引キャンペーンを一切行わないという判断はできませんが、経営資源は「C1)定価ヘビー客」の満足度向上、「C3)定価ライト客」のヘビー化に振り分けるべきだと判断することができました。

 

≪ケース4: ホテル運営E社≫

(背景)

ホテルを運営する中堅E社。顧客の様々なニーズに応えるべく、商品設定と価格をこれまでより細かく切り分けました。子供に人気の鉄道路線を一望できる部屋、女性が好きなキャラクターでいっぱいの部屋。売上も順調に上積みしてきました。

話題を呼んで予約が集中している商品がある一方、予約が低調な商品は調子が上がりません。とはいえ、テーマ性を持って改装した部屋を増やそうにも、話題が一過性であれば多額の投資がむしろ損失につながりかねません。

 

(解答編)

相談を受けて、宿泊客にアンケート調査を実施しました。集まった1000人の回答から、以下のプロットを作成しました。


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価格が高い商品ほど満足度が高い傾向から、現在の価格設定が概ね適切であることが確認できました。この右上がりの傾向の中でも、企画客室の商品は、実際に利用した人の満足度が価格と比較してもかなり高いことから、話題性だけではないと自信を持つことができ、改装投資の判断ができました。

また、同じ広さの部屋でも低層階の部屋は満足度が低いことから、ここに価格差を導入するか、価格は据え置いて高層階から案内する形を取るか、追加調査で判断することとなりました。一方で「鉄道を見る」企画客室は高さに関わらず満足度が高いことから、「鉄道を見る」企画室を低層階に集めることに決めました。一連の判断で、稼働率を5-10%引き上げ、利益率の大きな改善につながりました。

 

≪ケース5: 興行F社≫

(背景)

コンサートや演劇の興行のチケットを販売するF社。当日の3ヶ月前に発売するチケットの売れ行きを見ながら、完売のペースに届かない場合は2週間前から集中的に露出を増やす運用を行ってきました。

露出を増やしても完売しない公演もあれば、早々に完売して機会損失がもったいない公演も発生します。もっとうまく販売する方法はないものかと試行錯誤を続けてきました。

 

(解答編)

発売後の初動販売数をもとに最終的に着地する販売数を予測する数式を作りたいところですが、販売データを分析すると、固定ファンの多寡など興行の性質、曜日、時間帯などによっても初動販売数と最終販売数の関係は異なることが分かりました。

そこで、階層的クラスタリングの手法を使って、売れるタイミングのパターンを探ることにしました。


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この結果から、初動が多い公演、発売期間を通してじわじわ売れる公演、直前に売上が伸びる公演、初動と直前の二極パターンなど、売れるタイミングのパターンをつかみ、各パターンに落ちる公演の種類・開催日の法則性を導きました。勘の世界だった販売計画はぐっと精緻になって稼働率は平均で5%改善し、今度はこのプロセスをさらに自動化できないかと考え始めるまでになりました。

興行や飲食店、ホテル、航空・鉄道など、キャパシティが決まっている事業は、アセットを最大限使用して売上を最大化する技術にかかっている点で、経営戦略上は似た部分がとても多いビジネスです。多くの航空会社がチケット価格をアルゴリズムで可変にしているように、数値技術はもはや欠かせません。

 

■ 3.2 「戦略の地図」に通底する理念

   ・一通りではない「地図」の描き方

これらの事例の多くは、もっと広い経営課題の検討や中期的な経営方針など、2,3ヶ月間の期間をかけて様々な情報を検証した中のワンシーンです。まとめ資料が100ページ以上になっても、最終的に方向性を決定づけて忘れられずに残るのは数枚だけ、その多くはこのような「地図」といえるものです。

企業戦略のための「地図」に、決定版と言えるものはありません。行動パターンや購買決定要因に基づいた顧客クラスタリングの手法はほとんどの業界でとても有用なものですが、それが唯一の解というわけではもちろんなく、必ずしも小難しい技術で作ったものが最良とはならず、かえってシンプルなものが浸透することが多いものです。予算や時間が限られている場合や、成長戦略のための指針が既に明確な場合には、もっとシンプルな方法やいくつかの方法の組み合わせが考えられます。上記≪ケース1≫はクラスタ手法を簡易的に適用した例、≪ケース2≫はクラスタと別の軸とを組み合わせた例、≪ケース3≫はシンプルな軸を選んだ例です。

「顧客」を軸にした戦略は企業にとっての核心ですが、もちろんそれ以外にも重要な要素はいくつもあります。≪ケース4≫、≪ケース5≫は、売りものの商品を「地図」にしたものです。どんな業界にもSKUの伝統的な分類法はあるものだと思いますが、それとは異なった視点を入れてみることで見えてくるものもあるものです。あるいは、多店舗展開している企業で店舗を「地域」や「店舗ブランド」とは異なる軸で切り分けてみる。銀行や保険会社にとっての支店、グローバル企業にとっての進出国。B2B企業にとっての営業先や取引先。社内に目を向ければ、部署や社員をとらえる視点も必ずしも一つではありません。何を戦略地図の基軸とするかは、その企業自体の写し絵と言ってもよいでしょう。

 

   ・「地図」が経営の意志を表す

世の中で定番として使われている手法は、確かに使いやすいことが多いものです。どこかのコンサルティング会社が作った何でも2×2で整理するフレームワークをあれやこれやと当てはめるのもいいでしょう。あるいは、ブランドポジショニングでよく使われるコレスポンデンス分析も、二次元の散布図を作る軸を選ぶのに因子分析や主成分分析を使うのも、それなりに役に立ちます。定着している方法にはそれなりの理由もあるものです。

ですが、「地図」の描き方は、企業の運営方針の高いレベルでの選択に直結するものです。戦略の「地図」には、その人、その企業の意思が込められるものだと思っています。「定番の方法だから」ではなく、企業の舵取りを行う意思決定者が「針路」を見出すことができる「地図」が求められるはずです。むやみに複雑であることにも意味がなく、直感的判断を支えるものであるべきです。

また、オーナー企業やベンチャーなどスピード感を持っている企業では、「検討に時間を掛けるくらいなら即断すべし」と言われることもあります。ですが、企業として目指すべきは、決断のスピードと精度を両立させることです。科学的手法によって情報が直感を支える「地図」は、むしろ決断のスピードを加速させるためのものだと言えるでしょう。

 

   ・「戦略の意志」と「情報を扱う技術」

企業を取り巻く環境も複雑化する現代、「戦略の意思」と「情報を扱う技術」の両方が揃うことが、新たな必須要件となっていくのではないかと考えています。「情報を扱う技術」にいくら正確無比に優れていても、「戦略の意思」がなければ、複雑なだけで針路の選択が出来ない「地図」に決断を遅らせるばかりでしょう。逆に、「戦略の意思」がいくら大局観を持って優れていても、「情報を扱う技術」が不十分なら、でたらめな「地図」を識別できずにあらぬ方角に迷い込みます。

「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」。論語の一節はご存じの方も多いでしょう。現代の企業にとっては云わば、「戦略の意思」が現代版の「思い」(自分の頭で思考すること)、「情報を扱う技術」が「学び」(書物などから知識を得ること)に対応すると考えてもよさそうです。

《ビジネス》の核心としての「戦略の意思」、《サイエンス》の核心としての「情報を扱う技術」、その両方を兼ね備えるのが21世紀のスタンダードとなるべき、というのが本稿全体を通しての中心的なテーマです。

 

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<サイエンス編>
■ 4. クラスタ生成の統計アルゴリズム ~ 階層的手法、k-means法

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#02 位置と集団を見抜く

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   ■ 2. 顧客の地図を描く ~ 顧客クラスタの事例と解答
   ■ 3. 戦略を練るための「地図」思考 ~ 様々な事例と通底する理念 (このページ)
<サイエンス編>
   ■ 4. クラスタ生成の統計アルゴリズム ~ 階層的手法、k-means法
   ■ 5. クラスタを支える数理的概念 ~ 距離の定義、クラスタ数、FAQ
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