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《ビジネス×サイエンス》
#01 ビジネスと科学的手法

(目次)
■ 1. 企業戦略と情報 ~ビジネスケース~
■ 2. 企業戦略を支える科学の目 ~ケース解答~
■ 3. ビジネスと科学の相似形 ~科学研究例~
■ 4. 科学の基礎、ビジネスの基礎 ~失敗事例~
■ 5. 社会にもたらす価値 ~未来の展望~
■ 6. (次回以降の予定内容)
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■ 4. 科学とビジネスの基礎 ~失敗事例~

「科学的アプローチ」を名乗ったビジネスサービスは既に世の中に数多ありますが、時間や費用、労力を費やしたのに結局何も成果が出なかった、というケースを目にすることも残念ながら少なくありません。「それらしいグラフがいっぱい並んだ100ページの報告書は出てきたけど、判断に使える材料が結局見当たらない。判断を促す結論もこじつけっぽくて参考にできない」。社内リソースを数ヶ月間貼り付け、あるいは発注先に数千万円を支払っても、そんな残念な結果に終わってしまう、その原因は何でしょうか。<A. 情報の扱い方の基礎>の問題、<B. 科学的思考の基礎>の問題、<C. ビジネス戦略の基礎>の問題、に分けて、失敗事例を考えてみましょう。

 

<A. 情報の扱い方の基礎>

≪旅行業のC社は、M&Aを機に経営戦略を見直すべく、会員データベースを使った自社顧客の分析を、市場分析を売りにするコンサル会社に発注しました。発注先のリクエストに応じて匿名化した会員データを渡して、分析の進捗を待って1ヶ月後。泣きそうな顔をして、数ページの簡単な分析だけを持ってきました。話を聞いたところ、発注先の会社では、この件を引き受けたはいいものの、数千万レコードに及ぶデータの加工を扱える社員が一人もいませんでした。そして、そういった能力が今回の仕事で必須になることを営業担当役員が理解せずに営業していたのがそもそもの問題だと言えました。結局、1ヶ月間試行錯誤したものの、初歩的な集計を作成するのがやっとだったのでした。≫

≪日用品メーカーのD社は、新市場への参入を役員会議で決定し、市場規模や潜在ニーズの調査を、マーケティングを売りにする企画会社に発注しました。3000人規模のウェブアンケート調査の設計、実施、分析まで3ヶ月かかって、構成や体裁はしっかりした100ページの分析レポートが提出されてきました。ですが、予想外の市場で顧客単価が飛び抜けて高い、別の分析と辻褄が合っていない、など、直観にそぐわない内容がいくつもあり、どこまで信用してよいのか分かりかねました。詳しく確認したところ、発注先の会社では、アンケート調査で必ず混ざってくる不真面目回答者(報酬を稼ぐ目的で全て適当に回答する人)を除外する必要性を理解しておらず、それが分析結果を全編に渡ってめちゃくちゃにしていたのでした。≫

これらは、実際に見聞きした事例です(企業秘密の秘匿のため一部設定を変更してあります)。営業マンに信頼感があってなんとなく話しやすかったというだけで信用していると、情報を扱うプロであるはずの業者でも、「情報の扱い方」の基礎の能力が営業マンの口上に追い付いておらず、こういった失敗に陥るケースも残念ながら存在します。まして、社内の人材でこういったインテリジェンスを担おうとする場合は、社内では数多くのケースを経験する機会を持つのは難しいですから、失敗しがちなポイントを避けてきちんと筋の通った結論を出すことは簡単ではありません。

ですが、「情報の扱い方」の基礎は基本的には、手順や知識を習得すればよい事柄であって、天性のセンスを必要とするような部分はそれほど多くありません。ですから、要所をきちんと押さえて一定量の経験を持ちさえすれば、基本的にカバーできるものだと思います。

このような「情報の扱い方」の基礎は、どのような構成で考えることができるでしょうか。大きく三段階に分けて考えてみましょう。

  • 1. 情報を「入手」する技術
  • 2. 情報を「加工」する技術
  • 3. 情報を「伝達」する技術

まず「1. 入手」。軍事用語での「インテリジェンス」=「諜報」と言えば、スパイ活動始め様々な情報収集活動をまず思い浮かべる方が多いでしょう。ビジネスではまず、競合他社を知るための、メディア報道からの情報収集、財務諸表などIR資料の分析。顧客市場を知るための、様々な手法を用いた市場調査の設計、各種データベースからの抽出。様々な調査会社を使い分ける、政府や業界団体の統計を使いこなす。もっとソフトな「人から話を聞き出す」という技術ももちろん重要です。上記D社の例は、この「入手」の技術の不足によるものでした。

次に「2. 加工」。上記C社の例は、この「加工」の技術の不足によるものでした。大規模なデータから重要な結論を導くには、データベースを扱う基礎的な技術が欠かせません。情報の構造を理解した上で、変形、合成、集計を繰り返します。次に、その集計結果を適切に処理するための統計学、数学の運用能力。また、定量的な情報ばかりではありませんから、定性的な不定形の情報から背後の構造を読み解き、エッセンスを抽出する能力。扱う対象が数字にせよテキストにせよ、単なる「頭の回転の速さ」よりむしろ、鋭い着眼点を見抜く「思考のセンス」が求められます。

そして「3. 伝達」。どんな精巧な論理も、実行されるべく伝達されなければもちろん価値はありません。まずは伝達相手を理解すること。どこまで事前に理解しているか、何に関心を抱いているか、どのような不安を感じているか。その上で、伝えるべき明快なメッセージを定め、それが最も印象付けられるようにストーリーを組み立てる。そしてここから先は、「表現」の技術。情報の構造化、数値のグラフ化、示すべき情報の取捨選択、視線の誘導。様々な表現の技術が伝達を支えます。材料自体がとても良いものでも、表現と伝達の技術の巧拙によって、全てが台無しになっていることもよくあるものです。また、「表現」して初めて浮かび上がる本質的視点もあります。

最終的なアウトプットは、「1. 入手」×「2. 加工」×「3. 伝達」と掛け算で決まると言っていいでしょう。それぞれが50%の出来であれば、アウトプットは50%×50%×50%=12%になってしまいます。また、当然ながら、これらの3つの要素は連携が必要です。「1. 入手」の時点で「2. 加工」、「3. 伝達」まで見通した作業設計が必要になります。

(これら3段階の「情報の扱い方」の基礎は、次回以降に詳しくご説明する回を設けます)

 

<B. 科学的思考の基礎>

≪小売業のE社は、それまで築いてきた充実した会員組織を活用するべく、顧客データベースを生かしたマーケティング戦略を戦略コンサルティング会社に発注しました。匿名化したデータを引き渡して2ヶ月後、複雑な手法の説明に続いて、データに基づいた顧客クラスタと、各クラスタに対するアプローチ戦術が並んだ報告書が出てきました。企業戦略のプロが出した結論だからと一度は納得したのですが、どうも不可解な点が。高単価な商品種別を利用している顧客が、全体の人数の0.5%だけなのにそれだけで独立したクラスタになっており、そのクラスタは単価が高いから狙うべし、という結論になっています。いや、そんなことは最初から分かってるんだけど・・・。

計算プロセスを再現して検証したところ、クラスタ構成に用いる評価軸の指数化が不適切で、30変数でクラスタを作っていたのに実質的には3変数だけが極端に影響するようになっていました。これでは、利用商品ごとに単純に分けているも同然で、E社でこれまでやってきたことと変わりません。指数化の際、数値の分布の特性に配慮せずにマニュアル的な手順を盲目的に使っていたことが原因でした。また、発注先の幹部らも、この分析結果に基づいて自信満々に戦略を語っていましたが、彼らも科学的基礎の理解がなかったために今回の問題には気づくすべもありませんでした。≫

これも、実際に見聞きした事例です(同じく一部設定を変更してあります)。統計手法を使いこなすには、その手法のレベルに応じた科学的思考の技術やセンスが本来必要であり、それが欠けていると、この例のようにほとんど無意味なアウトプットを堂々と出してしまうことになります。今や、高度な統計ソフトウェアが容易に手に入るようになり、PCの能力も飛躍的に向上していますから、大学でマーケティングの授業を受けただけの人でも、「統計ソフトのこのボタンを押せばいい」と知っているだけで、「マーケティング専門家」を名乗って高度な統計手法を使う仕事を引き受けられてしまいます。ですがやはり、本質的な基礎の理解が欠けていると、どこかで張りぼてが露呈するものです。

こういった科学的思考の技術とはどのようなものでしょうか。それは、科学の言語である論理、数学、統計を使って、自然が気ままに起こす多種多様な現象の中から真理を引き出す技術や感覚、だと考えればよいでしょう。そしてそのためには、例えば様々な数字を見た時に、その単位や次元、規模感、空間的な広がりや時間的な変化、そういった感覚を半ば直観的に捉える能力が有効になってきます。(少々手前味噌で言えば、数学を除く自然科学の中で最も数理的と言える理論物理学の教養は、これに最も適した学問分野ではないかと思っています)

そういった科学的思考のセンスを支えているのは、論理、数学、統計の基礎的な理解です。記号論理学や集合論、微分積分、線型代数、対数、統計と確率論。これら大学教養程度の数学の様々な知識がビジネスの場で役に立つなど想像したこともない方が多いかもしれません。ですが、純粋数学をそのまま使うことは稀であっても、その数理的な感覚を自由に使った思考が、ビジネスの課題を解き明かすのに決定的な役割を果たし、上記のような失敗には陥らずにすむわけです。

(これらの科学的基礎がどのように「情報を扱う技術」を支えているかも、次回以降に順を追ってご紹介しようと思います。)

 

<C. ビジネス戦略の基礎>

≪エンタメ興行事業のF社では、顧客データベースは蓄積してきたものの、販売部門、会員サービス部門、検札部門、ポイント部門などに顧客データが分かれ、ほとんど有効活用できていない状況でした。そんな折、顧客データを販売管理や顧客分析などに活用するプランを大手ITシステムベンダーが提案してきたので、発注することになりました。3ヶ月で仕様策定、その後6ヶ月でシステム開発というケジュールで始まりました。ですが、半年が経過しても、仕様はおろか盛り込む機能も未だ定まらず、予算見積りも当初の10億円から30億円に増えてしまいました。発注は失敗だったという声も社内で上がり始め、結局、さらに3ヶ月と数億円を費やしたのち、中止の判断が下って別のベンダーを探すことになりました。≫

もっと大きな数百億円規模のプロジェクトでもこのような事例に事欠かないことは、ITシステムの発注に関わったことのある方ならご存知のことと思います。その原因の多くは、このプロジェクトで達成すべき戦略的目標の定め方が甘く、それに従った絞り込みが機能しないことです。発注側は、これも欲しい、あれも欲しい、とリクエストをとりあえず伝えますが、受注側はベンダーですからそれを聞き入れるしかない、その結果、気づいたら手に負えない複雑奇怪なシステムになってしまっている、というのが典型的な状況でしょう。ベンダー側がいくら優秀なエンジニアを抱えて高い技術と実績を持っていても、ビジネス戦略を考えるセンスを持った人間が受発注の両サイドに揃っていない限り、この沼に高い確率ではまってしまいます。

ビジネス戦略のセンスは経験知の要素が多分にありますが、敢えてその構成を考えてみましょう。ビジネスの普遍的な目的は「売上/利益を増やすこと」、言い換えれば、「同じ資本を使って、最大限に顧客の役に立つこと」。それを実現するために、「目的を明確にし、常に意識すること」、「目的に沿った優先度を常に判断すること」、「スピードを常に意識すること」、「シンプルに物事を考えること」といった、ビジネスの場では当たり前の原則が出てきます。また、「売上/利益の最大化」には会計の知識や感覚が強い武器になりますし、「最大限に顧客の役に立つ」ためには、顧客の立場で物事を考える「カスタマーセントリック」の発想が染みついていることも必要でしょう。そして、ビジネスは常に競合と争う陣取り合戦でもありますから、兵法に通じる戦略・戦術論も時に有効です。

「ビッグデータ」という言葉が流行語として空回りしがちなのも、ここに原因があるのではないでしょうか。ビジネス環境に応じた「目的」を明確に定め、そのためにデータを適切な「情報の扱い方」と「科学的手法」に基づいて活用すれば、データは極めて強力な武器になります。ですが、ビジネス戦略上の目的が定まらないままに「データいじり」をしていても、子供が砂いじりをしているのと大差はありません。「でっかいデータを貯めこんでいる」と誇るだけでは、そこから次世代の価値が勝手に湧き出るわけではないのです。

 

<小まとめ>

ここに挙げた3つの要素、<A. 情報の扱い方の基礎>、<B. 科学的思考の基礎>、<C. ビジネス戦略の基礎>はいずれも、ビジネスで科学的インテリジェンスを活用する試みに欠かせない要素です。信頼の厚い大手企業であっても、これらの事例のように、いずれかが欠ける失敗にはまることが少なくないものです。単に<B. 科学的思考の基礎>に長けた科学者を採用すれば万事うまくいくわけではもちろんありません。逆に、「科学的アプローチ」風を名乗りながら科学のイロハが分かっていない営業マンの言葉巧みな説明を信用するのも失敗のもとです。

(本稿では、次回以降、これらの基礎をカバーするよう、より具体的な方法論を取り上げる予定です。)

 

続いて最後のページではまとめとして、科学的手法の浸透が社会にもたらす価値を考えます。最後に、次回以降の予定内容をご紹介します。

>> 5. 社会にもたらす価値 ~未来の展望~  /  6. (次回以降の予定内容)

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#01 ビジネスと科学的手法

(目次)
■ 1. 企業戦略と情報 ~ビジネスケース~
■ 2. 企業戦略を支える科学の目 ~ケース解答~
■ 3. ビジネスと科学の相似形 ~科学研究例~
■ 4. 科学の基礎、ビジネスの基礎 ~失敗事例~
■ 5. 社会にもたらす価値 ~未来の展望~
■ 6. (次回以降の予定内容)
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